2011/10/29

台湾のお茶屋さん

紫藤盧(ツートンルー)
台湾で一番好きだったのは、お茶屋さん。
かわいい茶器と種類が豊富な茶葉は、毎日通い詰めても飽きない気がする。

紫藤盧の庭先

一番気に入ったのは、日本統治時代に日本人が住んでいた家を改築したお茶屋さん「紫藤盧(ツートンルー)」。日本家屋の和モダンな雰囲気が落ち着き、窓ガラス越しに見える庭先と鯉の泳ぐ小さな池も風流だった。
※日本語メニューあり。店員さんによっては英語もOK。私が行ったときは日本語を話せる人はいなかった。

■ 紫藤盧 Map  




三希堂にて
蓮芯茶(れんしんちゃ)
国立故宮博物院の本館4階にある「三希堂」というお茶屋さんにも寄った。

小さな急須には、7、8回お湯を足して楽しむことができる。陶器のピッチャーにお茶を移すことで濃さを均一に保つことができるそう。

沁園(チンユェン)
そして、茶葉のお土産を買うために立ち寄ったのが、沁園(チンユェン)というお茶屋さん。
いろんな茶器やお土産用にラッピングされた茶葉から高価な茶葉まで、いろんなものがあって楽しかった。
カウンターではお茶の試飲やお作法も無料で教えてもらえるため、保護者たちもとても喜んでいた。
※日本語OK

■ 沁園 Map

中国茶の文化は、とても興味深い。

2011/10/22

写真で見る台湾でのご飯

夜市にて。焼かれた鳥。

台湾は、不思議な食べ物、B級グルメ、ちゃんとした中華料理と何でも楽しめた。
油っぽくなく、ビールと合うおつまみもたくさん。やっぱり『食』のいい旅は最高。

今回の旅は保護者会であることから、SAさんが気を使って綺麗目レストランを中心に予約してくれた。本当においしいお店は、「保護者達が楽しめないような汚い所だから・・・」と残念がっていたけれど、夜は子供たちだけで夜市に繰り出し、保護者が食べられないようなところで食べられないモノをいただいた。

■ 夜市編
牛の脳みそスープ
胡椒饅頭











牡蠣入りお好み焼きモドキ
夜市は安くてゲテモノなんかも食べられる。腐った野菜に付け込み強烈な匂いを放つ臭豆腐は食べる気にならなかったけれど、旦那さんが頼んだ牛の脳みそスープにはチャレンジ。
脳みそは血の味があまりしないレバーのような感じ。見た目はちょっと脳の形が分かって、口を付けるごとに躊躇してしまった。

台湾のお好み焼き(モドキ)には牡蠣が入っている。屋台の近くに大きなバケツがあって、薄い白い液体が入っていた。それをオールのようなものでグルグルかき混ぜていて、調理具を洗っているのかと思ったら、なんとそれがお好み焼きの素だった・・・。

■ 中華料理屋編
ナントカ
酸辣湯(最高★)

汁なしナントカ
焼き小龍包

小龍包
綺麗目レストランも、もちろん楽しめた。小龍包は味が違う!大好きな酸辣湯もこれまで食べた中で一番だった。ボリュームも多い!
SAさんのお蔭で日本語も英語も通じない台湾でおいしい食事をいただけた。
中華料理屋で食べて、その後、夜市に移動し食べる。連日食べ続けだったけど、台湾だから仕方がない。







2011/10/21

2012年4月、ドイツへ。


旦那さんの仕事の都合で、2012年4月からドイツ,ケルンに行くことに。
今のところ、予定は2年。

正式決定したのが7月。
幸い、結婚式や夏休みの帰省やらでたくさんの友達に会えて、多くの人に直接報告することができた。
まだまだ伝えられていない人もいるけれど、10月に入り、職場でも公示されたのでブログでもお知らせ。

この新たな経験を、新たなブログで綴ってます。


2011/10/12

電車に乗ってin Taiwan

剣潭駅

どこの国に行っても思うこと。それは地下鉄というシステムが誰にでも使いやすく、分かりやすくできていること。台湾でもそうだった。

切符の買い方は日本と同じ。
行き先板で、行きたい駅に書いてある料金をタッチパネルで選択。
料金選択の下にある数字は、購入枚数を選ぶもの。

料金を投入。


切符として出てくるのがこのプラスチックのコイン。
これでも立派にICカードの性能を持つ。
改札でコインをスイカのようにタッチして入場。

改札を出るときは自動販売機のような投入口にコインを入れると、バーが開く。

東京メトロと同じく路線が色分けされていて、乗り換えも分かりやすかった。

2011/10/11

奇妙な台湾旅行

屋台 in Taipei
私たち夫婦と義母、旦那さんの高校時代の友人3人+その母2人の計8名、最終日に参戦した私の両親を含めMaxで10名となった今回の団体旅行は、当初の予想以上に混乱を極めた。
予定の変更など当たり前。各家庭で様々なトラブルと諍いが勃発し、到着初日から一部の子供たちは意気消沈。

どうなることかと連日不安と疲れを感じた台湾旅行。けれど、それも終わってみたらすべてがいい思い出に。台湾を満喫したというよりも、最終日に感じた『達成感』を子供たちで共有できた時間が私は一番楽しかった。

台湾は日本語が通じる、というイメージがあったけれど、ホテル以外、日本語どころか英語も通じず、タクシーの運転手さんには「Taipei station」という単語さえ通じなかった。ガイドをしてくれた旦那さんの友人SAさんがいなければ大変だったと思う。
けれど、言葉が通じなくとも心の優しい人が多いことがわかった。困っていたら何とか助けようと手を差し伸べてくれて、最後まで丁寧に教えようとしてくれた。とても暖かい国民性に触れて、旅行の疲れと心労が薄められたことが何度もあった。

また訪れたい国。けれど、今度来るときは絶対に少人数にしよう。

2011/10/06

一枚の写真

お義母さんの台湾旅行の準備を手伝うため家に行ったとき、古い1枚の写真を渡された。

「これ、台湾で見ることできるかしら?」

詳細を訪ねると、お義母さんの祖父、森栄さんという方は、台湾に学校を創設し、その学校の初代校長を務めたのだとか。台湾の方は教育施設の創設を大変喜び、パレードをしてくれたり、記念碑を建てたりしてくれたという話をお義母さんは聞かされていたという。
その記念碑というのがこの写真に写っているものだった。

お義母さんは79歳。病気を抱え、そう簡単に海外旅行へ行くことはできないので何とか見せてあげたいと思い調べてみた。

判っていることは、「名前」、「学校の先生」、「台南にある学校」ということだった。また、石碑を良く見てみると「鹽水國」と刻まれていた。可能な限り検索ワードを変え、Google先生に頼ってみたところ2日。


ついに手がかりを掴んだ!!


■ 鹽水國民中学の歴史 -Brief History of Yanshuei Junior High School

・1907
School, located on the present site, was first founded as a Japanese elementary school during the Japanese occupancy. The 1st Principal was Mr. Mori Sakae(森 榮), he was also the Principal of YanShuei Elementary School the same time, which was founded in 1901.

鹽水國民中学・小学校で校長を務めていたことが分かった。では、この記念碑がどこにあるのか更に調べたところ、あるブログにたどり着いた。

■ ブログ

中国語は読めないけれど、上から6枚目の写真のキャプションに、確かに「故校長森栄先生記念碑」と書いてある。6枚目に写っている写真とお義母さんが持っている写真の石碑が似ている。きっと木に隠れている階段右側が、森栄さんの碑だろう。

が!

5枚目の写真はどうやら6枚目の社をリニューアルしたものらしく、石碑が無くなっていた・・・。

この写真の場所は、鹽水神社というところで、4枚目の写真から鹽水小学校の敷地内にあるのだということがわかった。Google MapとStreet View でも確かめた。

けれど、修繕後、この石碑はどこに行ってしまったのか。。。
幸い小学校のHPにメールアドレスが書いてあったので、昨日、石碑の行方を尋ねる英文メールを送ってみた。

滞在2日目は、SAさんの案内で台南へ行くことになっている。もし小学校からメールの返信がなくとも、少し別行動を取らせてもらい、とりあえず鹽水小学校を訪ねてみたい。






保護者会 in Taipei

コトの発端は、私の母が台湾に住む友人に家族みんなで会いに行きたいと言いだしたことだった。台湾は行ったことがないし、「いいよ」と了解するも、計画力のないグダグダな我が家は誰かが指揮を執るだろうと流れに身を任せていた。

そんなある日、旦那さんの高校時代の友達3人との飲み会があり(私も参加させてもらっている)、家族で台湾旅行に行く話しをしたところ、その中の一人、SAさんがぜひ一緒に行きたいと希望された。

SAさんは中国で働いていたことがあり、流暢な中国語が話せる。台湾が大好きで、お勧めの所を案内してくれるということで、SAさんも参加されることになった。そこで話が盛り上がり、ではそれぞれの母親を連れて行こうよ、ということに発展した。

かくして、元々私の実家でいくはずだった小旅行は、

私、私の父・母 
旦那さん、旦那さんの母
SAさん、SAさんの母 
TAさん、TAさんの母 
SHさん 

という、すごい団体旅行が組まれることになった。

旦那さんサイドのお母さんの中には高齢な人が数人いて、病気ももたれている。長時間歩いたりはできないだろうけれど、母達は久しぶりの再会と、二度とないだろうこんな会をとても楽しみにしているだろう。この会に参加するために手術をされた方もいるほど(これはなんとしても連れて行ってあげないと、と思った)。

これはもはや旅行ではなく保護者会。
そしてどっちが保護者なんだか分からない会になるだろう。

旅行期間は10月7日~10日。どう見てもまとまりのなさそうなメンバーで、いったいどうなることやら。。。滞在中、どの家族がいったい何回けんかをするかな。

2011/10/05

Cheese Cheese Cheese



足跡あ~と第二弾。

セミハードのチーズをいろんな方向から食べているなと思っていたら・・・

お鼻を付けたかったのね。

Sophia Coppola

ゴッドファーザーの監督として有名なFrancis Coppola さんは、とてもグルメなワイン好きらしく、アメリカのナパバレーに自分のワイナリーをもっている。

Coppolaさんが娘のSophiaをイメージして作ったというこのスパークリングワインを見つけたときは、ラベルに瞬時に一目ボレ。

娘のSophiaさんも映画監督。

彼女が監督した映画『Lost in Translation』(2003年)は、日本の新宿を舞台に、ビル・マーレイが演じる中年のハリウッドスターとスカーレット・ヨハンソン演じる若い女性の出会いを通して、それぞれの心に宿る孤独と心の動きを美しく静かに表現した映画。

2人の繊細な心理描写は馴染のある新宿の街並みに哀愁を漂わせ、淡いグレーがかった景色に映る。この街はこんなに綺麗だったのかと感じる瞬間がいくつもあった。

Sophiaさんの作る映画から想像する人柄は、まさにこのワインラベルに一致するように思う。


2011/10/04

Malaysia・ジョホールバルへ

マレー鉄道 タンジョン・パガー駅

最終日の前日、突然思い立ってシンガポールからマレーシア最南端の街、ジョホール・バルへ行くことにした。理由は二つ、一つはマレー鉄道に乗りたい、二つ目は空じゃない手段で国境を超えてみたかったこと。

ガイドブックによると、タンジョン・パガーというマレー鉄道の駅から約50分だった。改めて駅がどの辺りかネットで調べたところ、衝撃的な事実が・・・

なんと、


2011年7月シンガポールにおけるマレー鉄道廃線!!


もう少し早ければ・・・。

タンジョン・パガー駅舎は残るそうだけれど、いつこの宿舎も壊されるか分からないので、とりあえず見に行っておいた。(上の写真)
現在、中には政府関係者しか入れないのだとか。(実際に駅舎を見に行き、警備のおじさんに聞いた情報)。

仕方が無いので、電車とバスでマレーシアに入国することに。
まずは、Orchard(オーチャード)駅からMRT南北線でWoodlands(ウッドランズ)駅へ。所要時間は40分くらいだったような・・・(また不確か・・・)。
Woodlands station
主要地区から離れるとどれほど田舎の景色が広がるのかと思っていたけれど、意外にもずっと都会が続いていた。Woodlands駅も随分立派な駅だった。

Woodlandsの駅をおりた後は、バスターミナルから国境を越える950系統の専用バスでマレーシアの国境を目指す。


少し走ると、ウッドランズチェックポイントというシンガポールの出国審査をする施設に着く。そこでバスを降り、他の乗客の後を着いていくと、空港と同じような出国審査をするカウンターが並んでいた。シンガポール入国時に持っていた出入国カードはここで回収され、immigrationを通過するとWoodlands駅から乗ってきたバスが先回りして待っていて、再び乗車してマレーシア入国施設を目指すことになる。

シンガポールとマレーシアを繋ぐ橋。
ここで事故が起きたらどちらの管轄で
どのように処理されるのかな?
シンガポールとマレーシアは橋で繋がっている。橋を渡りきると、マレーシアの入国審査施設につき、ここでバスをおりる。出入国カードを記載しimmigrationに出すと半切れを返され、パスポートにもハンコが押された。
これでマレーシアの入国が完了。出入国カードの半切れは無くさないよう大切に保管し、日本円で5000円程をマレーシアリンギットに両替して、いざ街中へ。





フードコート。
リトルインディアのような町並み。











州政府庁
イスタナ・ベサール











見事にみるところはあまりない。けれど、やっぱり国が違う。シンガポールとはまた違う雰囲気があった。

さらに、この日はかなりの炎天下。灼熱地獄で今思うと絶対に35度を超えていたはず。
帰りは国境を越えることができる専用のタクシーで、一気にシンガポールへ戻っていった。

分かりにくいところにタクシー乗り場がありそうだと予想し、ジョホールバルに着き入国ゲートを超えた所にあるインフォメーションで、タクシー乗り場を事前に聞いておいてよかった。確か料金4000円くらい。

タクシーでの出国方法は簡単。
タクシー待ちの間にマレーシアの出国書類を作成。あとはタクシーに乗っているだけ。出国審査と入国審査は高速道路の料金所のようなimmigrationで車に乗りながら行われ、運転手さんが私たちが記載した出入国カードをimmigration staff に渡してくれる。

シンガポールのどこまで行くかはいっさい説明がなく、お決まりのポイントまで連れて行くようになっているみたいで、MRT東西線のBugis(ブギス)という駅まで連れて行かれた。
このBugis駅はタンジョン・パガー駅のすぐ近くだった。

マレーシアまで行って何をしたという分けもなく、ただバスやタクシーで国境を越えるという経験がしたいが為に行ったone day trip。

いい経験になったところで、シンガポールの旅は終結した。





Raffles hotel

Raffles Hotel

マレーシアで最も楽しみにしていたラッフルズホテル。

新しいモノが溢れるシンガポールで、唯一歴史を感じられたところだった。広大な敷地に建つ白亜の建物はとても美しくて見とれてしまった。

ここに来たかった理由はなんと言ってもラッフルズホテルのバイキングのため。

素敵な内装
知る人ぞ知る「水曜どうでしょう」の大泉洋くんがアンコールワットを見に行くと騙され、マレーシアの過酷なジャングルへ連れて行かれる前に食事をしたところ。
ラッフルズホテルにはたくさんのレストランやカフェがあるけれど、私たちは宿泊客でもないくせに館内を歩き回り、洋くんが食べた「バー&ビリヤードルーム」を発見。

実は、2日(土)、3日(日)にもやってきたけれど、結婚式をしていたため断念。予約を取った方がいいかとホテルスタッフに訪ねたところ、月曜日はパーティもないので直接来ても大丈夫と言われ、三度目のトライだった。悲願の食事だった。

月〜土曜日 11:30〜14:00(日曜日はランチビュッフェ←どう違うのか不明)。料金はビュッフェが52か58シンガポールドル(数字に弱いのですぐ忘れる・・・)。ドリンクは別料金。名所だから仕方がないけど高いなぁと思っていたけれど、ビュッフェに出てくるのはなんと、、、

牡蠣まで食べ放題!!
お肉も食べ放題!!!
ケーキも食べ放題!!!
イタリアンも食べ放題!!!!

とにかくすごい物が何でも食べ放題ですっごくおいしい!!
これはもうテンション上がらずにはいられなかった。

最後には牡蠣だけ持ってきて牡蠣プラッターを作った。

さらに、ラッフルホテルと言えば、シンガポールスリング発祥の地。

どこで飲んだシンガポールスリングよりおいし!!この味が今でも忘れられない。。。
そして、

「ストローング!」

けど、かなり高価!!1500円くらいだったかなぁ・・・(不確か・・・)
あまりの感動にいろんな物がうろ覚え・・・

でも、いくらかかろうが絶対に体験した方がよい雰囲気と味。
シンガポールに来たら、また訪れたいレストラン。

2011/10/03

ヘイズ

シンガポール滞在中、どうもいつも霞がかかって遠くが見えにくいと思っていた。
3日目、「これは車の排気ガスによる公害なんじゃないか」と旦那さんは言い出した。どうやらシンガポールに来てからのどの調子が悪いのだとか。

この日のお昼、川沿いにあるベトナム料理レストラン「Indochine waterfront(インドシン ウォーターフロント)」へ行ってみた。安くはないけれどお料理はかなりおいしく、途中豪雨に見舞われるも屋根付きテラスで水辺の雰囲気を楽しむことができた。
テラス席
揚げ春巻き












このお店への行き方がよくわからなかったため、タクシーを利用した。ドライバーはとても気のいいおじさんで、「日本から来たのか?」と声をかけられちょっと仲良くなった。そこで旦那さんは、思い切って「ここに来てからずっと空が霞んでいるが、これは自動車の排気ガスか、それとも工場の公害でもあるのか?」と聞いてみた。
するとおじさんは「いやいや、あれはヘイズだ」と言った。

ヘイズというのはお隣の国インドネシアでこの時期行われている焼き畑農業と、それが原因による山火事の煙が風の乗ってシンガポール側へやってきて、始終視界が悪くなる煙害らしい。特に9月が一番ひどいということを教えてくれた。
政府は遺憾の意を表しており、毎日ヘイズの指数も測定しネットで公表していた。

http://app2.nea.gov.sg/psimonthly.aspx

その国を知るには現地の人との交流が一番だと言っている旦那さんは、現地の人から生きた情報を聞くことができてとても楽しそうだった。
以来、滞在中は何度も何度もヘイズ指数を確認しては、「今日は○%だから過ごしやすいかもしれない」と解説してくれた。

レストラン前にある
カベナ・ブリッジ
ブリッジには色々なオブジェが
いたずらっぽく置かれている。

2011/10/01

中秋の名月

China Town
9月12日は中秋の名月。
チャイナタウンを中心に、提灯や鮮やかな飾り物が街中を彩っていた。

日本でのお月見はススキとお月見団子だけれど、中国では月餅を食べる。デパートやホテルのロビーなど、様々な所で月餅屋さんを見かけた。

Raffles Hotel ロビーの月餅フェア

日の入り後、満月を探してホテルの周りを散歩するも残念ながら霞がかかってうまく見つけられなかった。諦めて帰ろうと思った頃、突然こうもりが飛んできて、私たちを威嚇するよう頭上を旋回。頭めがけて突進してくるのを避けたと思ったら、今度は目の前を蛙が横断と、なんともテンポのいい攻撃を受けた。



仕方なくホテルに帰るも、寝る前に窓から空を見上げると、もう随分高く登ってしまっていたけれど綺麗な満月を眺めることができた。